☆波乱家族ダイアリー☆大人の自閉症ととADHD

夫や娘、大人の発達障害に関すること、 日々の出来事や気になったことを綴っています。




【娘のこと】① 生後から小学校低学年までの発達や生活の様子



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~近所の公園にて~

今日は娘の生後から現在までのことを
簡単に書いてみたいと思います。
娘は1月が誕生日。今年、26歳になりました。

娘が精神障害手帳を申請し、保持するようになったのは22歳になってすぐの頃です。

障害年金についてはその少しあとから、 申請のための手続きを始めました。


その後、障害年金2級 の決定がくだされ、23歳の秋から障害年金を受給しています。

娘の場合、 障害年金受給の更新手続きは3年ごとです。

(何年ごとの更新かは、病気や障害の程度により 差があります)

 

*生まれた頃の娘

・身体的な異常はなく、とても元気に生まれてきた。

・元気すぎて手足をバタバタさせたり、興奮気味だった。

・生後半年ぐらいから   昼夜逆転が始まり、 夜中になってもなかなか眠ろうとしなかった。

 

*1歳から2歳頃

・言葉の遅れ、歩き始めるのが遅いなど特に問題となる身体的特徴は無かった。


・1歳頃からだったか、毎日、 寝る前には自分自身の衣服のそでを伸ばし、
寝付くまでひとしきり、 その伸ばした袖を舐めていた

(常同行動か)

 

*3歳頃

・保健所などで発達障害やコミュニケーションの問題について指摘されたことはなかったが、
同年代の子供との関わりは苦手で、 習い事などでは、 先生と関わるのも難しかった。

先生の言うことを聞かない、 指導を無視するなどしていた。

そんな感じだったので、

「このままでは、大きくなったら困りますよ」と、ある日先生に言われた。



・娘は言葉を沢山話すほうで、 いつも何かしら ベラベラと喋っていた。

これはどちらかというと  誰かと会話するというより、

独り言を 言っているような感じだった。


・三歳ぐらいの頃、 突然 家からいなくなり、 暫く戻らないことがあった。

心配して夫と手分けして探したのだが、

何故かこの時、娘は近くのスーパーへ行って いた。

娘は店内の商品を、  店の買い物カゴに山ほど詰め込んでいて、探しに行った夫に見つかると、

カゴに入れた商品ごと放置して  逃げだしてしまったのである。

(衝動敵な行動の一例)


*幼稚園の頃

娘は幼稚園へは、年中から入園した。


幼稚園年中

・靴を左右反対に履く

通園バスで幼稚園から帰って来ると、 靴を左右反対に履いていることが 度々あった。


・幼稚園での環境の変化や、 通園バスになかなか馴染めない

幼稚園に入園した頃は、 新しい環境に慣れるのにかなりの時間を要し、 

また 娘はバス通園にもなかなか馴染めず、  毎朝私と離れるの嫌がって大変だった。

先生に抱き抱えられるようにして  やっと出かけて行く毎日だった。


幼稚園での お泊まり保育なども不安が大きかったようで、 娘は苦手だった。 

私が幼稚園まで付き添っていき、 娘が安心するまで時間を掛けた。



・よく面倒をみてくれる、 お姉さん的な友達が存在していた。

娘は幼稚園には年中から入園したのだが、 幸いなことに

お姉さん的に 娘のことを面倒みてくれる友達ができた。 

その子のお陰で、 娘は比較的 安定した生活を送ることができた。

残念ながら、 その友達とは年長組に進級した時に 別々のクラスにのなってしまったが、

年中でその友達と出会えた事は、 娘にとって幸運だったのではないかと 私は考えている。

もし彼女がいなければ、 娘は幼稚園に馴染めなかったかもしれないし、

その後の幼稚園生活が どのようなものになっていたか わからない。

 

*幼稚園年長

・娘は、  強調性  思いやり  ともに欠けていた

年長になっても  幸い、  幼稚園生活において  トラブルというほどのことはなかった。

しかし、娘は友達との関わりが多少難しかったり、強調性が欠如しているようだった。

友達への思いやりにも欠けていることから、

「そんな風だと、 みんなから嫌われるよ!」と

友達から指摘を受けたりしたことも。


また娘は、 ゲームで自分が負けると突然 怒り出したり、
 
皆で遊んだ時には 最後に 使った遊具を片付けないなど

協調性に欠ける行動や言動が度々あった。そのため、

「あんたは嫌い!」と言われたことが 何度かあった。



・幼稚園の年中  年長  全般

幼稚園生活  全般としては、比較的安定していた。

これは年中  年長を通して、  担任の先生が同じだったことや、

娘の面倒を見てくれた友達がいたことが大きいと思う。

そのお陰で大きなトラブルもなく、全体的に楽しい幼稚園生活が可能だったのである。


*小学校低学年の頃

・入学したばかりの頃、 娘は  担任の先生に大して心を閉ざしていた。


授業では勉強の時のノートなどは、 担任の先生に見られないように、

隠していることが多かった。

コミュニケーションの仕方 が分からなかったようだ。

しかし、  先生にのことが信頼できるとわかってからは

先生に対して心を開き、 ノートもきちんと見せるようになった。



・友達とのコミュニケーションが難しい

友だちと仲良く遊んだりするのは難しく、  気の弱い子を虐めて泣かせたり

馬鹿にするような事 を度々言っていた。


遊びのルールも分からず 勝手な行動を取ることが多かった。



・強調性がないため、クラスでは時度  浮いた存在になっていた。


・乱暴乱暴で  加減がわからない ところがあった。

ある雨の日の学校からの帰宅途中、

傘を振り回して友達と戦い、友達の傘を折ってしまった。

後から新品の傘を購入し、謝罪のためその友達の家に行って傘を弁償したことも。


ある日の学校帰りには 友達を道路の脇の側溝に突き落とし、 泣かせたことも。



・家庭生活や集団でのルール、常識が理解できず、   自ら身に着けるのも難しかった。


娘には、  家庭や学校生活でのルールを、  時間をかけて丁寧に説明した。

しかし、  理解しようとはしなかった。

「なんで、そんなことしなければいけないんだ!」と逆切れし

聞く耳を持たないどころか、 寧ろ 拒否ししていた。



小学生になれば、 恐らく普通は多少なりとも 他の人の行動や言動、

集団生活での慣習などから、何かしら学習し、 常識などを身に着けることができると思う 。

しかし娘の場合、  自ら学習することも

こちらが教えたことを身に着けることも難しかったのである。

 


~つづく~

次回は
↓↓
娘のこと②小学校高学年から中学生までの発達の生活の様子

 

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