☆波乱家族ダイアリー☆大人の自閉症ととADHD

夫や娘、大人の発達障害に関すること、 日々の出来事や気になったことを綴っています。




【 小六の時の娘 ① 】再び登校班でトラブルに



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娘が小六の時の学校生活のことを書いていきたいと思います。学校でのトラブル、登校班でのこと、中学受験についてがメインになります。

前回の記事はこちらはこちらから↓
harandiary.hatenablog.com


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【 目次 】

娘が六年生になった時には、何故か

クラス替えは行われなかった。


小学校の最後の大事な年である。

クラス替えによる環境の変化

生徒に影響を及ぼすことを懸念して、

学校や教育委員会が、 そう決めたのかもしれない。

また近年、 中学受験をする生徒が増加傾

にあることから、そういったことも考慮されたのかもしれなかった。



*新しい担任の先生

クラス替えは無かったが、 担任は前年とは、 別の先生に変わった。


新しい先生は50歳前後のベテランの先生で、  大学生の息子さんがいるという。


「 見た感じはちょっと怖そうだけど、

さっぱりしていて、 感情的ではない感じだよ 」

娘はそういった。

それを聞いて、 私は少し安心した。




相変わらず娘には親友と呼べる友達はいなかったが、

五年生の時に比べて、 クラスでの生活は概ね順調に進んでいた。


しかし、二、三ヶ月経った頃、 再び 登校班 でトラブルが起こった。

といっても、 五年生の時の班からはトラブルのあと娘の希望で離脱していて、

新たに加わった別の班でのトラブルだったのだが・・・


*新しい班での様子

班から離脱したあと暫くは、 仕方なく私が娘を学校まで送迎していた。

しかしその後、娘の希望で、別の班に所属させてもらっていた。



それまでには紆余曲折があったことから、

正直いって私は、娘が再び登校班へ入ることには躊躇していた。



娘がもといた登校班でのトラブルについては、

娘が入れてもらう予定の、他の班の保護者も知っていた。

特にその班の同級生の母親は、 娘のことを問題視しており、

あまり良くは思っていなかったからだ。

そんなこともあって、私は娘が

新しい班へ移動することはとても心配だった。



新しい班で、またトラブルになってしまったら

更に厄介なことになってしまうのでは?!

そうなったら、娘は学校へ行けなくなるのではないか・・・



私自身、ずっとこのままで良いとは考えていなかった。

しかし、取り敢えず自分が娘を学校まで送迎していれば、 

要らぬトラブルは回避できるだろうと考えると、

暫くは堂々巡りの日々が続いた、




しかし最終的には、

娘の考えを尊重することにした。

皆が登校班で通っているのに、娘だけが

通わないまま小学校を卒業してしまったら・・・

娘自身がコンプレックスを持つことになるかもしれない。



また、娘自身が卒業まできちんと登校班で学校へ通えたとしたら、

それは娘にとって大きな自身にも繋がるのではないか、

そう考えたこともあって、再度登校班で通わせる決心をしたのである。

*新しい班で同級生とのトラブル

新しい班に変わってから、少しの間は平穏だった。

しかし、 娘の同級生で、班長をやっている友達に、

「 歩き方が遅いんだよ、 もっと、速く歩きなよ!」

などと、娘が度々その子に文句をつけたりした。

また馬鹿にすることもあったので、 次第に関係がギクシャクし始めた。



六年生になってからは、その子と娘が

交代で班長をやるようになったのだが、すぐに班は崩壊した。

そして、班長をやっていた子の母親が、 娘や私に文句を言ってきた。



「 以前の班にいた時に、〇〇ちゃんが

問題起こしたの知っているんだから! 」




その時の班のトラブルについては、 娘だけが悪い訳では無かったが、

その母親は、娘が一方的に娘が悪いと決めつけていた。

恐らくは、 娘のことを嫌っていたのだろう。

だから、娘がその班に入ったことは、 不本意だったに違いない。



( 何でこの子がこの班に入って来たの?!)


その母親は、娘が班に入ってから、 ずっとそういった態度で接してきたので、

娘や私に文句を言って来たことは、 何ら不思議ではなかったのである。



班に入れて貰った手前、 私はあえて反論はしなかった。



*同級生が班から離脱、班の崩壊

丁度その頃、その家族は同じ地区内のすぐ側に 家を購入したばかりで、

それを機会に、その班からは離脱していった。


娘がその班に入らなければ、 その子は引越し後も、

同じ班で通うつもりだったのだろう。

新しい班でまたトラブルになり、その結果

娘の友達が別の班に移動する結果になってしまったことは

とても残念なことであり、私にとっては心苦しいことだった。



それからは娘と、残された班員との関係も

ギクシャクしてしまい、娘は班長を降りた。

そして以前からその班にいる五年生が、 一旦班長になった。


一学期の間はそんな状態で、 気まずい雰囲気のまま登校していた。



*再度娘が班長になり、無事に卒業まで

二学期になっても班での様子は同じだったが、

ほとぼりが覚めた頃、 再度娘が班長を任されることになった。

同じ班の五年生は比較的優しい子で、娘のことを

サポートしてくれるようなタイプだったのでとても助けられた。

またその子の母親も広い心で見守ってくれたこともあって、

少しずつ、 娘と班員は良好な関係を築くことができるようになった。



そういったことから、娘は卒業する時まで無事に登校班を率いて、

通学することができたのである。


娘はその事によって、少しは自信を取り戻せたようだった。



もしその五年生やその子の母親の協力が無かったら、

恐らく娘はまた登校班で通えなくなっていただろう。



そう考えると、 私は今でも

娘に協力してくれた五年生や班員や

その母親に対する感謝の気持ちでいっぱいにである。




harandiary.hatenablog.com

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長文になりましたが

最後までお読みいただ、ありがとうございました!

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