☆波乱家族ダイアリー☆大人の自閉症ととADHD

夫や娘、大人の発達障害に関すること、 日々の出来事や気になったことを綴っています。




【 小六の時の娘のこと② 】 中学受験について



小学校六年生時の、 娘の学校、家庭での生活についての続きです。今回は、小四から始めた進学塾通いと、中学受験の事をメインに書いていきたいと思います。

harandiary.hatenablog.com

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*娘が得意な教科

小学校の低学年から高学年を通して、 娘の成績は 比較的良好だった。

得意なのは 算数と社会 で、 国語も苦手ではなかった。

特に算数の中では 計算が得意 でスピードも速かった が、 

回答が間違っているということは 殆どなかった。


また娘は、 社会の勉強では 歴史や戦争に関心 があり、 

暗記にも優れていたことから、 歴史の勉強は特に好きだったようだ。


しかし国語に関しては、  自分の言いたいことを人に伝えたり

作文を書いたりするのはどちらかというと不得意 だった。

娘は普段の会話でも 文を頭の中で整理して話すのが苦手で、

それで、 とか だから、 といったような接続詞を殆ど使わずに人と話していた。

作文にもそれが表れており、 接続詞の無い短文文の羅列が目立った。

私は心配して、 作文の書き方の本を購入して、 娘に読ませたこともある。



それでも娘はとても  漫画が好き だったり本もよく読んだことから、

言葉の使い方だけでなく、 人物描写や話しての気持ちなども理解できるようになり、

文章の把握や国語の能力も 次第に上がっていった。


*四年生から中学受験塾へ

娘は勉強が嫌いではなかったし、成績も悪くなかったので、

少しでも娘の持つ能力を、 伸ばしてあげられたらと思った。

また、娘は 人とのコミュニケーションが苦手 だったことから

将来娘が、 高校や大学の受験で何度も大変な思いをしたり、

友達作りで悩んだりせずに学校生活を謳歌できたら良いのに、 そうも考えるようになっていた。



そして、 娘が四年生になった時に、 中学受験を薦め、

中学受験専門の大手の塾 へ 通い始めた。



*四年生から始めた塾通い

小学校四年での塾通いでは、  国語と算数の二科 から始めた。

この時期の塾は、 まだ受験一色ということはなく(難関中学への受験生は別かも)

少しだけ、 学校の勉強の先取りをしているような感じだったので、

娘も同じ学校の友達と それなりに楽しく通っていた。


*五年生での通塾

五年生での通塾の様子も、 四年生の時と大きくは変わらなかった。

しかし この頃から中学受験では、  二科から四科がメイン になりつつあり、

また娘も社会の勉強が好きでしてみたいと思ったことから、 
四科受験のコース
へ変わった。


そのコースは五クラスあり、 娘は 始めは下から二番目のクラス だった。

塾では毎月クラス替えのテストが行われ、 その成績によってクラスが上下し、

座席も成績順に変更された。



娘はもともと負けず嫌いなところがあったので、 一つでもクラスを上がりたい一心で

勉学に励み、 段々と受験勉強にのめり込んでいった。 

その後も順調に受験勉強は進み、秋には様々な私立中学校の

体育祭や文化祭へ、 家族三人で出かけたりもした。


やがて五年生の三学期を迎え、 一月が終了した。


*六年生の勉強に向けての、先取り学習

塾では六年生の勉強への切り替えの時期で、

学校より一足早く、   六年生の勉強の先取 が始まった。

中学受験が始まるのは十月後半から十一月なので、   遅くとも九月末ぐらいまでには

六年生での勉強を一通り 終わらせなければいけない。

その為に、   学校での授業を先取りして塾では勉強していくのである。



それまでより、 勉強が大変になりそうな気配はあったが、

娘は受験を頑張ろうと決心し、 より一層勉強に励んだ。

その甲斐あって、 娘は六年生の一学期の終る頃には、

上から二番目のクラス に上がることができた。

 


「この時期にクラスを上がった子がいるか 塾の先生に聞いて」

娘はとても喜んで私にいった。

塾の先生に聞くと、「この時期にクラスを上がるのはかなり難しいので、

殆どいません。○○さんは本当によく頑張っていると思います」

と塾の先生はいってくれた。



一番上のクラスの生徒は、 殆どが難関中学を受験する生徒ばかり。


娘はもともと、   難関中学を受験するつもりは毛頭なかったので

そのクラスに入ることは目標にしていなかった。
 
勉強の内容や勉強量も、   娘や 娘と同レベルの生徒達と

そのクラスとでは一線を画していたし、娘がいくら勉強したからといって、

何巻中学受験のクラスに入るのは簡単なことではなかっただろう。



しかし、   その次のクラスに入れたのは素晴らしいことだ。

入塾したばかりの頃の娘の、   勉強を全くしない様子から考えたら

かなり娘自身が努力をした結果だと言わざるを得ない。

娘はまるで人が変わったように 気合いを入れて勉強をしていたので、

私は本当に娘の頑張りは凄いと思ったし、 感心させられたのである。



*公開模試を受験

六年生になってからは塾での勉強に併用して、

娘は毎月会場で行われる  公開模試 も受験していた。 

それによって、 確実に実力がついてきたようだった。

公開模試に、 夫と私は毎回 付き添っていた。 



そうなのだ。 わが家の場合二人三脚ではなく、

三人四脚で、 娘の受験に向けて頑張っていたのである。

今考えてみると、 いくら中学受験とはいえ模試ぐらい娘を自分だけで

行かせたほうが良かったのではないか。 もし一人で行けないぐらいなら、

受験をすること自体に無理があったのではないか、 そう思った。



その時はそこまで考える余裕が無かったので、

とにかく娘と、娘の将来のためと思って協力していたのである。



*第一志望の中学受験が可能に

夏休みには、 娘は 同じ塾で行われる 夏期講習 に参加した。

これには同じ塾へ通う塾生がほぼ全員参加した。

勿論有料だが、 塾生以外でも 参加は可能だった。



夏期講習のスケジュールは一か月間、午前から午後までびっしり組まれており

塾生はほぼ毎日 昼食にお弁当を持参して勉強に励んだ。

娘も遅刻や欠席は一切せず、  夏休み中  一生懸命勉強を頑張っていたのだ。



その甲斐あって、    娘は夏休み明けの公開模試で、

ほぼ 第一志望の私立中学の偏差値に到達すること ことができた。

娘は勿論    家族皆とても喜び、  このままいけば順調に、    受験に突入できると 安心したのだった。



ところが十月に入った頃、   信じられないような言葉が娘の口から飛び出した。

「もう、 受験をやめたい!」と。

それを聞いた私は耳を疑った。 これは夢なのか、或いは

キツネに摘ままれている のではないかとさえ思った。



*公立中学へ行きたい

なぜ、  娘が急にそんなことを言い出したのか    すぐには分からなかった。

しかし、  娘の話しをよく聞いてみると、 段々その理由がハッキリしてきた。

実はその少し前には、 その地域の小学生に通う生徒達が

進学予定の公立中学の、   制服の採寸が行われていたのだ。

その時に娘は 自分のように私立中学へ行く子ばかりでなく
 
公立中学へ進学する友達もいる ということを    改め認識したようだった。



それからの娘は、 受験勉強に全く熱が入らなくなった。

というより、  全く勉強をしなくなった というほうがピッタリするような状態になった。


とはいえ、 三年の長きに渡って、   自分自身で受験の為に日々積み重ねてきた沢山の努力

それらの全てを簡単に捨て去ってしまうという選択、   それにはすぐに至らなかったようだ。



勉強をしなくなった娘の成績はどんどん下がっていったが、

受験をしないという方向へも進まず、 どっちつかずのまま日にちばかりが過ぎていった。



私は娘のために、 せめてできることだけでも協力しようと考え、

娘が受験する予定の中学の受験問題集、 特に 算数の問題を勉強して解き

それらを娘に、 一生懸命教えていた。



そうこうしているうちに、    とうとう 中学受験は始まった。



*埼玉県での受験

受験の皮切りは、 都内より10日ぐらい前に始まる 埼玉県の中学 からで、

これらは都内で受験する中学の 滑り止め のつもりだった。


願書は3校に提出してあり、 初めに受験したのは本命校ではなかった。

この学校は本人に対する面接も行われたが、

娘は何とか無事に切り抜け、  合格 する事ができた。

これで勢いに乗った娘は、  埼玉県の本命校をも見事に合格 したのである。

それで 3校目は受験せずに終わった。


受験に乗り気ではなくなっていた娘だったが、 それまでの受験勉強が実を結び

合格という結果を得られたことは とても嬉いしことで、

自分の自信にも繋がったようだった。



*都内での受験

都内で受験する志望校は、 3校だった。

通常中学受験では、 保護者が付き添う 場合もあるが、

受験場所により、1人だけで受験に挑む子も勿論いる。

私立中学は、 基本的に受験生自身が単独で通学できる場所にある学校を選ぶので、

わざわざ 受験期間中にホテル等に宿泊してまで受験する割合は、 そう多くはないだろう。



娘が受験する中学は、 何処も電車通学で 一時間圏内にある学校だったので、

本来なら早朝に自宅を出発し、 受験校へ向かえば受験できる学校だった。

しかし、 娘はいった。

「どこか都内のホテルに泊まって 受験しようよ!」

それを聞いた私は、

「そこまでしないと受験できないなら

もし合格したとしても、 恐らく通えないのでは?」


そう思った。 しかしここまで来たら、 娘や私達、

全員にとって後悔のないようにしたい!との思いがあり、

受験期間中の 五日間、 都心のホテルに宿泊して 受験に挑むことにした。

夫も二日ぐらい会社から休みを頂いて 協力してくれた。



11月の受験 初日は本命校 だった。

試験初日ということもあって、娘はがちがちに緊張していた。

この日の手応えは、 あまり良くなかったようだった。

夕方の インターネットによる合格発表では、娘の予想通り 不合格 だった。



翌日娘は、 併願校の試験に挑んだ。

こちらは算数が難しい学校だったが、 前日の受験で少し慣れたのか、

娘は実力を出し切れたようだった。 そしてこの学校は合格した。


その翌日、 娘は再度 本命校を受験した。

こちらも今度は落ち着いて受験でき、 見事合格 することが できたのである。


四日目、 五日目にはチャレンジ校を受験する予定だったのだが、

娘は三日間の受験で、 ほぼ精神 体力的に使い果たし 限界に到達していたので、

娘と相談して、 受験はそこで打ち止めにすることになった。



こうして、 長い、  地獄のような受験戦争 は終了したのである。


*どの中学へ入学するの?

合格した本命校に入学するのか否か、 娘と相談したが、

その時点でも、 きちんとした結論は出なかった。

結局、 取り敢えず入学金を支払って手続きをしておき

時間を掛けて結論を出そうということに決めた。



三月になり、  小学校の卒業式 を迎えたが

娘は中学をどうするか まだ決心はつかないようだった。

しかしそのまま日にちが経過していけば、 嫌でも結論に達するのだろうと 私は思っていた。



*娘が中学進学で悩んでいた事

中学への進学にあたって娘が悩んでいたことについてなのだが、私なりに考えてみた。

これは私が娘から聞いたことをメインに、 私の推測が加わってっているが、

恐らく 下記のようなことで悩んでいたのではないかと、 私は考えている。

◇公立中学へ入学した場合

・親友ではなかったが、 比較的親しく、
何かと娘の面倒を見てくれた友達は別の私立中学へ進学

・地域の公立中学へ進学しても 自分にはそれほど仲の良い友達はいない ←孤立

・別の小学校からもその中学へ進学してくるので、 小学校のの時と環境が変化する

・学校に馴染めず、 虐めにあう のではないか



◇私立中学へ入学した場合

・全くに新しい環境になるという不安と小学校時代の嫌な思い出を消し去り
新しい環境で新しい自分として出発できる

・自分のようにコミュニケーションが苦手だと、 やはり友人ができないのではという不安と、
もしかしたら新たに良い友達ができるかもしれないという期待。

中高一貫校 なので、高校受験をしなくて済む
学校に慣れればゆっくり過ごせるのではないか。
また大学も併設しているので、 きちんと勉強していれば 大学までエスカレーター式に進学することも可能

・通学が公立中学より大変



娘の頭の中ではこれらの 考えが錯綜し また考えたとしても分からない、

実際にどういう結果になるか分からないことについて恐れおののき、

恐らく 不安に陥ってしまった のだろう。

娘は環境の変化を最も苦手としているので、 そういったことで悩んでいたのだと思ったが

悩んだとしても結果が見えること、 娘が簡単に決断できないのは、仕方のないことだった。



私には、 娘の気持ちが痛いほどわかっていた。

しかし、 この問題については私からこうしたらどうかと提案したり、決定することはばかられた。

これらの問題はそれだけ難しいことだったのである。



結局、 娘が入学する中学について結論を出せず、 決心できないまま

私立中学へ入学することになったのである。



娘の生後から、小学校低学年までのことはこちらから↓
harandiary.hatenablog.com



長文になりましたが

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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